王子田楽の書き込み@ = 33koku

王子神社の歴史と田楽

■ 王子神社 (旧称・若一王子宮、王子権現) の歴史のこと (東京都北区王子)

王子神社は京浜東北線・王子駅から100mのところにあります。 【王子神社の歴史はいま想定されているよりもっとずっと古いの ではないかな】と思うこのごろです。

当地は中世に豊嶋氏という武家に長い間治められていました。 文明10年(1478)太田道灌による攻略で滅亡しましたが、さかのぼれば豊嶋武常は前九年の役 (1051年→1062) で源頼義に従い、曽孫清元(光)は源頼朝に従ったのです。 豊嶋氏はこれより代々鎌倉幕府に仕え当地支配を磐石なものにしました。 400年以上もの長きにわたり当地の支配をつづけたわけです。

豊嶋氏は頼朝配下として重んじられて豊嶋有経が元暦元年(1184年)に紀伊守護人にまた紀伊 三上庄地頭 に任ぜられて紀州熊野地方と関りができました。

豊嶋氏のことを書いた書の中に、豊嶋郡、足立郡、新座郡、多摩郡、児玉郡の五郡を領した、 との記述もあります。 五郡統治という記述は、後醍醐天皇の時期の記述に出てきます。 この情報にもとづき図示してみました。ただし、五郡統治ということとか、それ以外のこととか、 長い長い豊嶋氏の歴史のなかでは実効支配の細目は時代時代で 変わっているということもあ りますし、それぞれの地域に詳しい方の解説でお調べ下さい。



ここでは、実効支配としては豊嶋郡全域とその周辺から多摩の内部にも及んでいたという記述が 多いということを お示ししておきます。そういうことをご理解のうえでご覧いただきたいのがこの地図です。 中世豊嶋氏の最大勢力時 の統治エリアとされているのを地図に色付けしてみました。

そこに王子を中心に近辺を同心円で漫然と囲ってみました。 こんくらいはいつも実行支配してたかな、なんて調子で丸をしただけですが。この範囲をみる だけでも広大なのが 判ります。

ともかく、中世豊嶋氏の最大勢力時の統治エリアの中心地が王子でした、とお示ししたいわけです。 王子権現は豊嶋氏の産土神(うぶすながみ)としての地位であったとされます。

こういう豊嶋氏の庇護のもとの 「王子田楽」 だったのです。

王子神社の成立についてみてみますと・・・徳川家光の命で起こされた「若一王子縁起」という 縁起絵巻が あります。 この書には王子神社の縁起について「後醍醐の天皇御宇元亨(げんこう)の年・・・新たに祠宇 を建てあがめける」 と書いてあります。

発見できただけの資料のみによって王子権現 (王子神社の旧称)成立の解釈を試みるというこ とが真実にせまる最終手だてとは思えないのですが、これまでのところ、「元亨2年にこの王子 宮勧請のときの中秋に王子田楽が始められた」と明治期に豊島氏の子孫が語ったとの当時の 新聞の記事を一応信じておきたいと思います。

上記の地図で見えるように、元亨の年という時代は、豊島氏の歴史で最大に輝いていた時の ようですし、王子田楽創生の時期として最もふさわしく思われます。

それを裏付けるのが王子田楽であらわされる

五色と陰陽の色配分、および、反閇所作、 また三々九度の躍り、それに九字切りの歩進、です。まさに中世の修験思想が背景にある
と言えます。





■ 王子神社の田楽 (東京都北区王子)

王子の田楽を農耕儀礼つまり五穀豊穣を祈るものと思い違いされる方が多いですが、下の武者写真をご覧の上でなおそう思う 方は少ないでしょう。
躍り手は魔事退散を祈って赤い魔除けの紙垂れをつけています。 豊作を祈る躍りであれば普通雨乞いという意味でも白い紙垂れを 付けるでしょう。

王子の田楽(←クリックでリンク先へ)は田事系の囃子田と違って 躍り系の田楽といいます。
囃子田ではスリささらを使うのに対し、木や竹を編みつらねた ビンザサラ というのを 持って躍りあるいは所作します。躍り系の田楽は陰陽二列で躍るという特徴 があります。

王子の田楽は現代に残る諸国の田楽躍りの中にあって、農耕儀礼ではないという点で特に異質です。


でも、現存の田楽のなかでは異質でも、もともと平安時代、鎌倉時代、という中世の田楽躍り全盛のなかでは、 修験信仰を背景にした魔除けという催しにむしろごく普通であったのです。

そういうことを知らないでは東京都北区王子という、いわば江戸市中からははずれた土地に伝わったということ で人々が”田事”の芸と見誤っててしまうのも仕方ないことでしょう。

王子の田楽を正しく見るには、王子という地域の古い歴史から見ると合点がいきます。
鎌倉時代以降の300年間という長きにわたって豊嶋氏という治世者が、いまで言う東京地域のほとんどから 南埼玉に至る広大な領域を治め、その中心地が王子であった、ということを見てはじめて王子の田楽の本質 が納得されてくるのです。
ただ、この広大なエリアは当時の豊島氏が官職の上で得たもので、実行支配下に 置けていたかはご研究の方々のご指摘を仰ぎたく思います。

豊嶋氏は頼朝の旗揚げに寄り添った頼朝の重臣で一族は紀州熊野地方の守護と地頭とをつとめたほどの 実力者だったのです。王子はそのいみでも地方の中心地であったわけで、もちろんその頃に江戸幕府なんて ありませんから”江戸から遠い王子”なんて認識など人々にあろうわけがありません。

そうした豊嶋氏の最大権勢の時期に王子田楽が儀礼として作られたように思われます。



現在の東京にこのような、
みやびで、はなやかで、 古典の形式を伝えた中世の御霊合(ごりょうえ)の系譜の 田楽躍りが伝わること自体とても貴重です。

戦災で絶えていましたが昭和58年に40年ぶりの復興がなりました。躍るのは地元の小学生たちです。

地元の王子神社、王子稲荷神社、両社の歴史、伝承文化、
芸能についての書き込みがあります。

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.....入室..... 王子座伝承館



[ 動画 ]
[YouTube] 王子田楽(東京都北区王子神社)田楽行列 ・ 2010年8月8日、北区役所付近から神社までの行列
[YouTube]王子田楽(東京都北区王子神社)中門口、2013.8.4、見事!
[YouTube] 2010年8月8日。王子田楽第一番、中門口。
[YouTube] 2010年8月8日。王子田楽十二番、こまがえし(子魔帰)。


by @33koku 2012.6.25

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